※この記事は「Apes! Not Monkeys! 本館」の二つのエントリ、「産經新聞に科学部はないのか?」と「「インテリジェント・デザイン」続報」を再構成・加筆したものです。
9月26日付の産経新聞に掲載された「「反進化論」米で台頭 渡辺久義・京大名誉教授に聞く」は、少なからぬ人々を「そこまでいっちゃったか」と驚かせたようです。全編にわたって突っ込みどころ満載なのですが、以下いくつかのポイントについて検討してみます。
まずもって、反進化論がいま米国で「台頭」しているという認識が間違っています。アメリカには浮き沈みはあれど一貫して(もちろん、『種の起原』以降のはなしですが)反進化論を唱える勢力(キリスト教原理主義を中心とする)がいました。1925年の「スコープス裁判」は学校で進化論を教えることを禁じるテネシー州法に違反した教師が訴追されたものです(ただし、事件そのものは進化論教育禁止法の廃絶をもくろむ人権団体が意図的に起こしたものでした)。学校教育における進化論の扱いが政治的イシューとなっていることは、アメリカの特徴の一つをなしています。1957年の「スプートニクショック」によって学校における科学教育が重視されることになり、一時反進化論運動は劣勢になります。しかしながら、レーガン政権成立の背景にあるアメリカ社会の保守化(あるいは宗教保守派の政治的影響力の増大)により、80年代あたりから反進化論陣営の攻勢は再び強まっていたのです。
今の反進化論運動に新しいところがあるとすれば、それは記事中にもある「インテリジェント・デザイン」という名称です。後述するとおり、「インテリジェント・デザイン(以下、適宜IDと略す)」とは名前だけで、実態は創造説(世界は『創世記』が記述するとおりに神によって6日間で創造された、という主張)となんら変わりません。公立学校で創造説を教えさせようとする80年代以降の試みは、政教分離を定めた憲法に違反するとして阻止されてしまいました。そのため、政教分離規定をすり抜ける目的で表面上宗教色を薄めたのが「インテリジェント・デザイン」説なのです。
IDは「従来の反進化論と違って多くの科学者が支持」というのは本当でしょうか? 「日本で早くからIDを紹介」している渡辺名誉教授は英文学者なのですが…。生物学者はどう考えているのでしょうか? 「利己的な遺伝子」で知られる進化論学者リチャード・ドーキンスは『悪魔に仕える牧師』でIDに言及し、IDが創造説の偽装に過ぎないことを断言しています。実際、IDが言う「デザイナー」の概念を別のことばで置き換えるとすると「神」以外にないことは明白じゃないでしょうか。アメリカにはキリスト教原理主義系の宗教団体が設立した大学が多数あり、また私立大学で創造説を教えることは法的に問題がありません。したがって「○○教授もIDを支持している」という主張を見かけたときには、その「教授」がどのような大学に所属しているのか、といったバックグラウンドに気を配る必要があります。
渡辺教授によれば、ID教育は「思考訓練として必要」なのだそうです。では、「思考訓練」としてID支持者のバックグラウンドを探ってみましょう。
記事中で言及されているID学会の公式ホームページにおいて「ID主導者の一人」とされているジョナサン・ウェルズなる人物がいます。前述の『悪魔に仕える牧師』もほかならぬこのジョナサン・ウェルズに言及し、彼のこのような発言を紹介しています。
He[=Father] also spoke out against the evils in the world; among them, he
frequently criticized Darwin's theory that living things originated
without God's purposeful, creative activity.
はい、ばっちりと「神」という語が出てきますですね。ダーヴィニズムは神の御業を否定するという理由で批判されているのです。ところで、この「彼」というのは誰なのでしょうか? 英語の "Father" は「神」を意味することもあり、そのように理解しても意味はいちおう通るのですが、別の解釈もできます。この発言が掲載されている URL をご覧ください。
http://www.tparents.org/Library/Unification/Talks/Wells/Darwin.htm
このなかの "Unification" だとか "tparents" という文字列であるいはピンとこられた方もおられると思いますが、トップページをみればはっきりするとおり、ここは統一協会*1 の情報を提供しているサイトなのです。そして "I was admitted to the second entering class at Unification Theological Seminary" という記述から、かのジョナサン・ウェルズは統一協会の信者、ないしシンパであることがわかるわけです。とすれば、この "Father" が文鮮明を指すことも自ずから明らかになります。つまり、たまたま統一協会の信者ないしシンパである人間が個人的にIDを推進しているのではなく、教祖の意思に基づいてIDを推進しているということになります。
今度は「統一運動ホームページ」というサイトを見てみましょう。ここも一見して明らかな通り統一協会系のウェッブサイトなのですが、このサイト内で統一協会の教祖文鮮明の妻、韓鶴子(ハン・ハクチャ)が1995年に行なった講演を読むことができます。この講演ではいまだ「創造説」という用語が使われているのですが、IDと創造説が実質的に同じものであることを見てとることができます。
もう一つ興味深いことが。「統一運動ホームページ」のトップページから「世界日報社」という新聞社へのリンクがはられています。「世界日報」が統一協会系の新聞であること(ついでに言えばロナルド・レーガンがその英語版の愛読者であったこと)は知る人ぞ知る事実であるわけですが、「世界日報」の創刊25周年にあたってこういう方々が祝辞を述べています。あれ、どこかでみた覚えのある名前がありますね? そうです、産経の例の記事でIDを推奨しておられる渡辺久義名誉教授です。彼がIDと統一協会(およびキリスト教原理主義)とのつながりを知ったうえで
——推進しているのはキリスト教右派とされています。旧約聖書に基づく創造論の「神」を「知的存在」に言い換えているだけでは?
という問いに対して
もしそんなものであるなら、これを支持する科学者は一人もいないでしょう。米国の記者もよく「何で早く神と言わないのだ」と質問しますが、ID理論家は
あくまで科学的実証から出発するわけで、(中略)神から出発するのではないのです。キリスト教右派だとか宗教勢力の画策などというのは、そういうふうに
見たがる人の言うことです。
と答えているのだとすればはなはだしい欺瞞ですし、もし両者のつながりを知らないのだとすれば「思考訓練」が足りない、と言わざるを得ないでしょう。また、IDが多くの科学者に支持されているというのなら、IDを支持する生物学者のコメントなどとっておけばよいのに、と思いますよね? 渡辺名誉教授は「五億三千万年前ごろには、海の中には、多様な生物がすむ世界になっていました」という記述について、「私は素人ですが、これはたちの悪い虚偽の記述だと言ってよいと思います」とおっしゃっていますが、素人だからきっとエディアカラ動物群(オーストラリアで発見されてた、カンブリア時代以前の生物群の化石)のことなどご存じないのでしょう。しかし…あれ、おかしいな? 私も素人だけど知ってたよ。進化論の動向に多少なりとも興味を持っていれば知っていておかしくないことだと思うのですが…。ちゃんと生物学者にはなしを聞いておけばこういうミスはしないですむんですけどね。記事の末尾には「作家・日本画家の出雲井晶さん」と「中川八洋筑波大教授」のコメントが載っているわけですが、はなしを聞く相手を間違っているのではないでしょうか? 進化論に関わる記事を執筆するのにわざわざ生物学者・進化論者を避けて取材する理由を考えてみるのもいい「思考訓練」になるでしょう。
このように、なるほどIDは「思考訓練」のための格好の教材となってくれるわけですが、IDを学ぶことが「思考訓練」になるかと言えばはなはだ疑問です…。というのも、IDで「思考訓練」を積んでおられるはずの渡辺名誉教授は
「分からない」「神秘だ」と正直に言う方が知的に誠実ではないでしょうか。
などとおっしゃっているからです。「分からない」ことと「神秘」であることの間には大きな違いがあります。さらに「分かっていない」ことと「分からない」ことの間にも大きな違いがあります。要するにIDというのはこれらを混同することなしには支持し得ない主張なのです。
念のために付け加えますが、個人ないし宗教教団が創造説やIDを信じ、それを公表する権利は日本でもアメリカでも憲法で保証されています。だから、私は“IDのバックには統一協会がいるからけしからん”と言っているのではありません。宗教右派とのつながりを現に持つIDを世俗的な科学的仮説の一つであるかのようにみせかける産經新聞がけしからん、と言っているのです。
IDがほんとうにダーヴィニズムの弱点を突いているのであれば、まだしも「思考訓練」としての価値はあるかもしれません。しかしながら、この記事にはダーヴィニズムに対する典型的な誤解が現われています。例えば「自然的要因からは生じえない「デザイン」の事実」といった主張。“生物の構造の精巧さは、およそ偶然によって生まれたとは思い難い”というのは(ID
論者を含む)創造説論者の常套句なのですが、実際には(本物の)生物学は生物の構造や行動
様式がいかに環境に適応しているかだけではなく、いかに“知的存在によってデザインされたとはとても思えない不合理”をはらんでいるかを示す事例を数多く発見しています。創造説論者お気に入りの眼球を例にとるなら、盲点
の存在を挙げることができるでしょう。人間がデザインしたCCDに盲点があるでしょうか? また、多くの人間が腰痛を患うのも、われわれの祖先が四足歩行・樹上生活をするなかで進化させた身体の構造を二足歩行のために流用したからです。
さらに「人間の祖先はサルである」というのも『種の起原』刊行当時からある誤解です。進化論が主張しているのは「人間とサルとは共通の祖先をもつ」ということです。現生のサルはいつまで待っても人間に進化することはありません。また、本当に「進化論には疑いようのない化石による証拠とか実験での証明は何もない」のかどうかは、進化論の入門書を読めば直ちに明らかになるでしょう。
渡辺名誉教授と記者の二人三脚はさらに迷走を続けます。
そ
れに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申
「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。
(…)
「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともか
く歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。
(…)
人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。
(…)
『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する
といったあたりは、ID支持者の本音があらわになっていて「おいおい、いいのかよ?」と思ってしまいます。科学的な知見や先端技術の社会的・文化的な影響に気を配るべきだという議論は、それ自体としては間違いではないでしょう。問題は、百万歩譲って進化論教育が道徳的に悪影響をもたらすとしても、そのことはIDが科学的な仮説としての妥当性を持つということを含意しない、ということです。IDないし創造説を教えることが道徳教育に役立つという主張を同じく百万歩譲って認めたとしても、だからといってIDは科学的仮説であると主張する根拠があるわけではないのです。
ところで中川教授は「神の創造した人間」を「非科学的な神話」だと言っちゃってますけど、これってID的にはまずいですよね? う〜む、この記事を書いた記者はとことん取材相手を間違えているようです。ちなみに、「(人間は)サルの子孫」が「非科学的な神話」だというのはその通りです。上述のように、ダーヴィニズムは人間を「サルの子孫」とは考えていませんので。
次に、進化論が道徳教育にマイナスだという主張そのものを検討してみましょう。上で引用した進化論批判の全てに共通しているのは、人間以外の生物に対する露骨な蔑視です。人間がサルの子孫だったとして(実際には違いますが)、なぜそれが人間の「自己否定」につながるのでしょうか? 「日本画家の出雲井晶さん」はもっとはっきりしていて、「人間を獣の次元に落とす」などとおっしゃっています。しかしながら、人間以外の動物を勝手に「獣の次元」に落としておいて、進化論が人間を「獣」扱いしていると非難するのはおかしくないでしょうか? 本物の進化論学者は研究対象となる生物を「獣」扱いしたりしません。生物学はいかなる生物種にも特権的な価値を与えませんが、個人としての進化論学者は自分が研究対象とする生物を愛し、そのすばらしさを讃えるのが普通です。他者(他種)への憎悪に基づく自己愛を教える方がよっぽど道徳教育にマイナスだと思うのですが。
進化論が道徳教育によくないという主張は、いわゆる「自然主義的誤謬」、つまり「事実」から「価値」を引き出してしまう誤謬を裏返しのかたちで冒しています。進化論は(その正否はともかくとして)事実についての理論であって、価値には関わりません。自然主義的誤謬はふつう「人間には生物学的な性差があるのだから、男女の社会的役割も異なるべきだ」「皇帝ペンギンは夫婦の絆が強いのだから、人間も見習うべきだ」といったかたちをとりますが、ID支持者の場合は「進化論はオットセイの一夫多妻制を適応だととらえるから、(道徳的に)間違っている」と主張しているわけです。いうまでもなく、進化論は人間がその性行動に関して皇帝ペンギンを見習うべきだともオットセイを見習うべきだとも(ないし見習うべきではないとも)主張しません。
また、日本の神話には『創世記』のようなシステマティックな創造神話がないわけですが、そうだとすると進化論とは無関係に、日本人は伝統的に「人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任」を欠いてきたことになってしまいますが、それでいいのか?>産經新聞*2。
最後に、もう一度「科学」という観点からこの記事の主張について考えてみましょう。
宇宙に目的も方向もあり得ないとする唯物論、機械論が正しいなら、ダーウィンの進化論以外に全く考えようがなくなります。「どこが間違っているのだ」と食い下がるダーウィニストにとって、理論と証拠の不一致は関係がなく、初めの前提で答えが出ているのです。
(…)
「公認の学説」とは異説を唱える学者は認めないということでしょう。それだけでも鉄槌(てっつい)を下す意味があるではないですか。
「唯物論」は進化論のみならずあらゆる自然科学が共有する大前提です。したがってこの記事が仄めかそうとしているように進化論がマルクス主義だというなら、物理学も化学も全てマルクス主義的だということになってしまいます。超自然的な説明を排除する唯物論をドグマと呼びたければ呼んでもかまいませんが、自然科学とは(現在のところ)超自然的な要因(例えば「知的なデザイナー」)抜きで自然現象を説明する営みを指すことばなのであって、唯物論が嫌ならIDは科学であるなどと言わなければよいのです*3。「キリスト教は神の存在を前提としており異説を唱える者は認めない、だから鉄槌を下すべきだ」などと主張することに意味があるでしょうか? 「神」の存在を前提することが嫌ならキリスト教とは別の土俵で議論すればよいのであって、キリスト教の枠内にとどまりたいのなら「神」の存在が前提になることを受けいれるべきではないでしょうか。
「異説を唱える学者は認めない」学説には鉄槌を下す…ということだと、きっとそのうち熱力学の第二法則あたりにも異を唱えて永久機関は可能だ! と主張してくださるのでしょう。楽しみなことです。
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